2018年12月24日月曜日

12月20日~怒涛の忘年会幹事上京編


こんちわ、さわだです。

Facebookとかで繋がってる人はご存知の通り、この年末に上京しておりました。

去年も上京しようと思ってたんだけど、急に決めたので飛行機が高くで諦めました。

で、今年は満を持して早めに飛行機を手配。

離島を離島するまえにラーメン(店長の細野さん)

札幌味噌です、チャーハンと餃子もつけます

ホテルからはシャトルバスで空港まで送ってもらって・・・

さて、搭乗

離陸するとこ

行きは2時間半くらいなんだよね

着陸します

羽田広いよな~、空港から出るまで30分以上かかったよ。

羽田に着いて飛行機降りて思ったのは「あれ?思ったほど寒くないな・・」と。

どうやら俺がいた数日間は暖かかったらしいね、さすが普段の行いがいいと天気まで味方してくれる( ̄▽ ̄)

京急に乗って東銀座へ

着きました、佐賀昇

まだ誰も来てないので始めます

ちゃんこの時の写真撮り忘れたんだよな(´・ω・`)

この晩は、店の仲間・・・過去にBlogに登場しているけど、ボンちゃん、雅ちゃん、熊谷さん、そんでもって「金曜の男」の高橋さんと関さんの6人。

「いつものメンバー」の福ちゃんは会社の納会で、ライターの長澤さんは仕事で欠席・・・

だったんだけど、二次会で合流

 ヘロヘロに酔っぱらって、最終的に渋谷で札幌ラーメンでも行こうかと思ってたんだけど断念して解散。

翌朝・・・

マッツ( ̄▽ ̄)

いくら二日酔いでもきちんと押さえておくのです。

待ち合わせで渋谷へ

ダメな大人に付き合います

前から気になってた鳥竹の鍋

一応これで全員集合

それぞれ予定があるとのことで解散して・・・

夕方、大先輩の藤倉さんがやってる利き酒BARへ

藤倉さんは俺が入社するのと入れ違いくらいで退社してソニーへ行った人でね、明菜とかやってたからなかなか新人の俺なんかが口きく立場にない人だったんだけど、何かと可愛がってくれるとても素敵な人です。

※ここらへんから記憶が曖昧

流れで・・・・

一応今回の主目的「メディアファクトリーOB忘年会」へ

もう20年幹事をやってるんだよね、去年一昨年と参加できなかったので、今年こそはと寒いのを覚悟で上京したのよ。

集合写真

いつもは二次会とかでダラダラと朝まで飲んだりするんだけど、さすがにみんな年を取ったのかそんな飲み方もできなくなって適宜解散・・・

俺はまだ約束があったので・・・

兆楽でしょ

いつものモヤシそば

食うワシ

さて、3日目

この日は弟と会う予定。

が、先に巣鴨へ

同じ顔もいるけど、まぁ「顔出しただけ」で次の目的地へ

「何喰いたいか」って言うので「寿司かそばがいい」ってことで・・・

蕎麦屋で待ち合わせ

で、この時に天ざるの大盛りと親子丼を食ったんだけど、これが裏目に出るんだよね。

夜寿司食いに行くのにお腹が減らなくって全然食えなかったという残念な結末に(´-ω-`)

この晩もさすがに食えなくてラーメンとか食わなかったんだよな。

翌朝、すき家で混ぜのっけご飯

結局のところ、牛丼的なものに飢えてるんだよね。

空港で寿司リベンジ、コハダ

何だかんだで8皿くらい食べて・・・

搭乗します

離陸します

帰りの方が少し時間がかかる、3時間半

寝たり起きたりを繰り返し・・・

着陸

さて、宴はここで終わらない。

帰ったら地元で参加しているバンド「もんもんず」の忘年会へ

美女に囲まれるワシ

もうずっと飲みっぱなしで、結構やられちゃってね・・・

なんか素敵な女性が多かったのでゆっくりすればいいものを、飲み過ぎて帰っちゃったんだよね~。

で、実はこれで終わらなくって・・・・

翌日、イブの晩に「女子会」とやらにお誘いいただいていたんだけど、さすがに調子が悪くて断っちゃった(><)

と、そんなこんなの忘年会WEEKでした。

お付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。

来年も同じ時期に上京する予定でいます。

もうちょっと長くいてもいいかなとか思ってるので、またその時は声かけるので集まってくれたら嬉しいです。

一応来年いっぱいも宮古にいる予定でいます。
※グリーンカードの抽選は5月で、当選しても2020年からの発効。

年末まで待てない人は会いに来てくれてもいいんだぞ( ̄▽ ̄)

では、また来年もヨロシク♪

2018年11月18日日曜日

In memory of Kyoko

私が現在の職場に着任した時、彼女は長期の休みを取っている最中だった。

ただ、勤務シフトの表に「玉寄京子」という名前を見ただけで、女性であることだけは認識したが、それ以上の情報は誰が教えてくれるでもなかった。

どんな人かは想像もつかなかったが、まぁ割とおばさんウケはいい方だと自覚していたので、まぁ何とかうまくやれるだろうと思っていた。

1週間ほどの休み明けに彼女は出社してきた。

風貌で言えば「小柄な老女」といった感じであった。

ただ、想像以上に言葉がキツイ。

「〇〇やれ」とか「××しろ」的な物言いをする。

普段の自分なら遠慮なく反発するところだが、どういうわけか全く従順に彼女に従った。

就職してからひと月ほどして、別な同僚の女性と職場の寿司屋で食事をすることになった。

そのことを話したら、当日にステーキだ何だと食いきれないほどの食事をホテル中から手配してくれて、その残り物を持ってホテルのBARへ移動して2次会的に3人で飲んだ。

結局、それが最初で最後になってしまうとはその時は思いもしなかった。

言葉はきついが、彼女はいつもみんなに気を配っていた、特に私はとてもよくしてもらった。

朝食当番のとき、夕食の当番の時、みんなに弁当を作ったり、持って帰れるようにおにぎりを作ってくれたり。

おかずが足りなさそうなときには洋食のレストランに行って余ったステーキをもらってきてくれたり。

食い物の事だけではなく、仕事でもとても辛抱強く私に付き合ってくれた。

調理場とはいえ何もできない私に、手持無沙汰にならないようすごく気を使ってくれていた。

私は彼女が大好きになっていた、変な意味ではなく人間として、先輩として。

それから1年ちょっと、彼女のおかげで仕事場がとても楽しかったし、毎日が楽しみだった。

私が彼女に従順に従っていたのも、彼女が根本的に優しいことを知っていたからだと思う。

そして先月、10月27日から休みを取って本島に娘さんと孫たちに逢いに行ってバーベキューをするとか言って那覇へ向かった。

私は内地からワーナーの同期の本田が来るので、すれ違いで休みを取った。

本田が内地へ帰って出勤したら、京子さんはまだ戻っていなかった。

現地で「クモ膜下出血で倒れた」という。

宮古で倒れなかったのが不幸中の幸いだと思った。

宮古より那覇の医者の方が幾分マシであろう。

それが11月4日のこと。

以降、毎日気が気でなかった。

もしかしたら休み明けに出勤して「玉のこと聞いた?」とかいつ言われるのかとビクビクしていた。

何日か前に「まだ何回か手術が必要らしい」とか聞いたので「手術が必要だということは回復の見込みがあるのだろう」と解釈していた。

そして昨日「玉寄さんの見舞い金を集めているので、一人3000円ずつ出すように」って言われた。

そうか・・・見舞金を集めているということは順調に回復してきているんだろう、と希望を持った。

今朝、朝食当番で片づけをしたら内線が鳴った。

内線かけてきた相手「テルかテツいますか?」

私「テルちゃん!内線だよ」

テルちゃんが戻ってきて言ったよ

「玉・・亡くなったってさ」

日本語は非常に厳しい、「希望」の反対側にあるものが「絶望」だった。

いま、絶望の真っ只中である。

何もやる気がしない・・・

英語のレッスンもキャンセルした・・・

作った弁当も食う気がしない・・・

ただボンヤリ彼女の事を想うだけである。

いや、二つだけやる気の出ているものがある。

「ふて寝」と「やけ酒」

しかし4時から仕事だ・・・

人生とは無情である

いま「サヨナラの向こう側」を聴いている。

あなたのやさしさ あなたのすべてを

「きっと」ではない

ぜったい忘れません

玉寄京子 享年60歳

身内以外では池田さんに次いで、私が愛した人間の一人がまた逝ってしまった

2018年9月26日水曜日

離島民、離島へ行く(Day4)



これまでの道のり
Day1編
http://rockbarmalmsteen.blogspot.com/2018/09/day1.html

Day2編
http://rockbarmalmsteen.blogspot.com/2018/09/day2.html

Day3編
http://rockbarmalmsteen.blogspot.com/2018/09/day3.html

さて、そんなこんなで実はもう帰ってきているので、頼りない記憶を頼りに書いていくんだが・・・

3日目は後半憶えてないほど飲んだので、最終日は中々ベッドから出られなかった。

一応毎日のリズムとして5時に目覚ましが鳴るようにしてるし、この日もそうだった。

でも体が言うこと聞かないんだな、二日酔いで(´-ω-`)

ということでダラダラしていたら、あっという間に朝飯の時間。

中国人に後れを取ると面倒なことになるので、早めにロビーに降りてスタンバイ・・・・

今朝もしょぼい朝飯スタート

まぁサービスだからね、あまり多くは期待してはいないのだけど、これはあまりにも楽しみがないというか、ただ食うだけの朝飯だ。

朝飯を済ませて部屋に戻る。

実は石垣にもキチンとPC持って行っててね、朝だけでも英語のレッスンをやろうと思って、そこだけは欠かさずやっていたのだ。

前にどっかに「若いかわいこちゃんはダメだ」って書いたんだけど、例外がいてね。

大好きな先生がいるのだよ(//▽//)

彼女です。


親身になって教えてくれるし、間違いもタイミングよく指摘してくれるのでわかりやすい。

さて、南の果てへの旅路の最終日。

そのオープニングを飾るのは・・・・

しょぼい鍾乳洞

ではなく、石垣全体が見渡せるというバンナ公園へ

この公園、なんとも巨大で山のふもとから頂上まであるんだけど、さすがに巨大すぎて車でないと移動は困難。

とりあえず顔ハメのある「児童公園」からスタート

はめときます

浮かれるわし


渡り鳥の観測所なんてーのもある

吸い込まれていくあきおさん

上に登ったら、なんかマニアな爺さんとかばあさんとかがいてね、なんか居心地悪いのでとっとと引き上げた。

そして山を登って・・・(車でね)

頂上からの景色

宮古と違って山もある

あぁなんかもうジャングル

こっちは港の方

ということで、石垣をぐるりと一望できる公園なのね

こんなにでかい

さて、石垣の絶景を堪能した私たちは次なる目的地へ向かって移動。

次の目的は「おにささ!」

なんだそりゃ?

って思うじゃない?

俺も思ったけどさ、「おにぎりにササミ」で「おにささ」なんだって

登録商標なんだってさ

「おにささ」ってーのは「知念商会」って食品スーパーで売ってるとのことで、そこへ・・・

こんな状態のショーケースにはいってるのがその現物

実は「おにささ」って商品がもうできてて「その状態」で売ってるのかと思ってたんだけど・・・

自分で作るらしい(--;)

これが完成形

なんか一個でお腹いっぱいになっちゃいそうなので、これは後回しにして次の旅程へ

「請福」って酒造所の工場見学へ

俺は泡盛に全く興味がないのだけど、あきおさんは泡盛ではこの請福が一番好きなんだってさ

試飲も充実しています

工場を案内されるあきおさん

工場見学が終わってお土産物を物色しに行く

と、なぜかそこにあったこれ・・・
そして開店を待って・・・

念願の回転ずし

そこまで行って回転ずしもないだろうと思うだろうけどね

宮古は回転寿司ないのよ。

まぁ気軽にはいれるすし屋も、ないでもないんだけど、ちょっと離れた場所にあるから、「ビールでも飲みながらちょこっとつまむ」なんてことができないのね。

ということで乾杯

最近はどこもタッチパネルだ

わしのキラーコンテンツ

回転寿司はこういう邪道がいい、チーズハンバーグ

食い過ぎるあきおさん

東京にはいっぱいあるもんなぁ~

なんと石垣に刑務所

見ての通り「八重山刑務支所」ってなってるじゃない?

こっちの人って「石垣」って言わないで「八重山」っていうんだよね?

それには何となく気づいていたので、前の日に乗ったタクシーの運転手さんに聞いてみたの。

「こっちの人って、石垣って言わないですよね?何でですか?」

って聞いたら・・・・

「なんででしょうねぇ~」って・・・・



答えになってない(--;)

まぁ実はその運転手さんも、前から気になってたんだって。

石垣出身の人なんだけど、地元でも

「どこ?」
「八重山」
「八重山のどこ?」
「石垣」

といったやり取りになるのが昔から不思議だったんだって。

まぁ言われてみれば

「東京」
「東京のどこ?」
「世田谷」

とかいうのと同じやり取りなんだろうなぁ、とか思ったりしたんだけどね。

「沖縄そば」
「宮古そば」

とか言うのに「石垣そば」とは言わなくて「八重山そば」なんだよねぇ~

世界ふしぎ発見(ナゾ)

ということで、島めぐりは終了。

レンタカーを返して・・・

空港で最後の乾杯

私の方が先に飛びます

見送られるわし

自家用機で宮古へ

上空から石垣(八重山)へ別れを告げ・・・

たったの25分で到着( ̄▽ ̄;)

ホテルの迎えの車で帰ります

しばらくして、東京に着いたあきおさんから・・・

寒いって(^^;)

実際、16度とかこっちの真冬の温度だもんね、寒いのわかるよ。

さてさて、そんなこんなであっという間の3泊4日。

あきおさんが誘ってくれなかったら、たぶん石垣も波照間も一生行かなかったかもしれないので、いい機会になったと思う。

それと、石垣が宮古に比べて微妙に都会なのを肌で感じたのも収穫かな?

春に本島に行って都会ぶりに驚いたけど、石垣と比べても宮古は観光資源の乏しい「しょぼい島」だということがよく分かった。

しかし、この「しょぼい島」の「微妙な田舎さ加減」というのが暮らしにすごく大きな影響があるのもわかった。

波照間みたいに田舎過ぎると、これはもう「不便」を大きく通り越しているんだよね、ちょっと暮せない。

ところが石垣・・・充分田舎なんだけど、あそこまで栄えちゃうと俺なんかまた遊んじゃうんだと思うんだよね。

今の場所、宮古・・・

繁華街も全く繁華してない島だけど、この程度の田舎さ加減と、「街」とも言えないような街との距離感。

しかし「何でも手に入る」という日本ならではの便利さを享受している状態・・・その絶妙な線上にあるのが宮古島という場所なんだなということが実感できた旅行だった。

相当飲み食いして、無いカネ使い果たしてしまったけど、やはり経験はカネでは買えないのでね。

いい経験ができた3泊4日でした。


あぁ~ちょう楽しかった(^^♪