2017年7月14日金曜日

二子玉川に対する想い

瀬田で店やってる友達が「高島屋でセールが始まった」という投稿をしたので、
ふと「二子玉川」の事を考えてみた。

25からおよそ50になるまで、「ほぼ四半世紀」の間、二子玉川に住んでいたんだね。

何で二子玉川だったかというと理由は単純なんだ。

当時レコード会社でディレクターやってたんだけど、毎晩帰りが遅くなるんだよ。

で、3時でも4時でも帰るとおふくろが起きてくるんだよね。

遊んでるわけじゃないんだけど、これがひどく心苦しくてね、「もう一人暮らししちゃおう」と。

いまも歌手の小林幸子さんのマネージャーやってる山村さんって人が、二子玉川に住んでて、「紹介してやるよ」って言われて引っ越した先が玉川4丁目の「吉岡マンション」だった。

二子玉川にしたのは、たまたま山村さんが住んでたマンションがあって、実家が近かったというだけだった。

二子玉川で一人暮らし始めて、3年くらいかな?

今の嫁さんと結婚するわけなんだけど、結婚した当時はまだワーナーにいてやめるつもりもなかったので、そのままそこに住んだ方がお互い通勤もしやすいってことで、吉岡マンションに住み続けた。

翌年、子供が生まれて、広くはないけど、隣の一家なんて同じ間取り(3畳、6畳の二間+キッチン)に高校生の子供が二人いて4人で住んでいたので「まぁ別にいいだろう」とそのままそこに住んでたんだね。

しかし、子供が大きくなって歩けるようになってくると、手押しの台車みたいので、犬とかの木の細工がカタカタ動く子供のおもちゃあるでしょ?

アレをさ、子供が部屋の中で押して遊ぶんだけど、3歩くらいで行き止まっちゃう(^^;)

「来年は幼稚園に入るし」ということで、友達なんかが遊びに来ても恥ずかしくないようにって、新築のマンションに引っ越したんだ、これが2000年ころかな?

2002年に瀬田に一軒家を建てて、そこで暮らすようになるわけだけれども、二子玉川を終の棲家(一応当時は)に選んだのは、やはり「子育て」という側面が強いんだよ。

自分の両親が成城を選んだのも「(代田から)通うときに繁華街をとおらないから」というのが理由だったみたいだが、誘惑に弱い俺の意志の弱さを見抜いていたんだね。

少しばかりの悪いことはいくつかしたけど、大きく道を外れる悪さにまでいかなかったのはそのおかげかもしれない。

とまぁそういうことで、自分の娘も「二子玉川」「成城」という「世田谷のみ」というロケーションで生まれて育ったわけだ。

どっかの太ったオカマが「アタシの一番嫌いな街」とか言ったらしいけど、まったくわかってないね。

少し車で走れば畑ばっかだし、この時代に無人販売所がまだアチコチにあって、住所でいうと「鎌田」になるんだろうけど、ひまわり畑があったり、もちろん川があって、夏には真上に花火が上がって・・・

「上っ面だけのオシャレさ」なんてみじんもないよ、畑と虫ばっかだよ(><)


まぁそういうわけで、二子玉川に家を建てたんだ。

「デブのオカマ」は人の愛する街を批判してないで、自己批判をすればいい。

ところが様子が変わってきたのはここ数年。

駅の向こう側は、「二子玉川園」がなくなってから、冬はアイススケートリンクになったり、住宅展示場になったり、ナムコワンダーエッグができたり「いぬたま」「ねこたま」なんてわけのわからない語呂合わせのアミューズメントができたり・・・・

で、ついには「再開発」ということで「二子玉川ライズ」というビル群が出来上がることになった。

住人しかわからないと思うけど、乗り降りする人数の割には駅が小さいんだよね。

ホームで電車待ったことがある人はわかると思うけど、こっちが田園都市線、あっちが大井町線、同じホームで整列乗車ができるように線が引いてあるけど、隣の溝の口の駅と比べると、ホームの広さが断然違う。

よくアレで事故が起きないなと思うよ。

その駅の乗降人数が、楽天の社員も含めて1万人以上増えることになるんだ。

おまけに慢性的に渋滞している瀬田の交差点にも、「劇的」ではないかもしれないが交通量が増えることになる。

こうなったらもう住みやすくもなんともない。

子供が大きくなるまではよかったけど、もう住むところじゃなくなっちゃった。

実際にね、住民は高島屋とかライズの恩恵を享受したりはしてないんだよ。

うちの嫁さんなんか、週に一度用賀のOKまで買い出しに行くんだけど、あそこらの主婦はみんなそうみたいだよ。

車でブーっときて、駐車場並んで、買い物して家族でご飯食べて帰るなんてことやってるのは、住民じゃなくてよその人ばっかだ。

懐古趣味はないけれど、俺が引っ越したころの二子玉川はよかったよ。

商店街なんて何もなくてね。

大して美味くもないけど「おると亭」って使い勝手のいい庶民的なラーメン屋があって、何度かしか行ってないけど銭湯があって、店名はわかんないけどマニアックなエロ本の種類が豊富な雑然とした本屋があってさ。

俺は名前知らないけど、会えばあいさつするクリーニング屋のおばちゃんとか焼き肉屋のガイジンがいてね。

住みやすかったし、「砧公園」とか「岡本民家園」みたいな姪も娘も遊びに連れていける自然があったし。

駅からは富士山見えるし

台風来ると川が氾濫するし


娘も大きくなっちゃったから「近所に遊びに・・・」なんて犬としかできなくなっちゃったけど、でもいい街だったな、二子玉川。

もしかしたら「なにもない」ってーのが、きっと好きなのかもしれないね( ̄▽ ̄)


2017年7月11日火曜日

生姜焼きに対する想い

生姜焼きが好きである。

幼少時にさかのぼる。

恐らく、人生で初めて生姜焼きに接したのは小学校時代だったと思う。

当時住んでいた、井の頭線の「東松原」という駅の改札を出て、歩道橋を降りたところに「萬来軒」というラーメン屋があった。

「あった」と書いたが、どうやらまだあるようだ(^^;)

親が出張がちだったために、弟としばしばここで食事をしていた。

まだ「コンビニ」とかでき始める前のハナシだ。

「いないときに火は使わない」というルールだったため、
外食するか出前を取るかしか選択はなかったのだ。

弟は、マーボー丼をよく注文していた気がするが、
私はほとんどの場合で生姜焼きを食べていたと思う。

しかし、このころはまだ「生姜焼きが好きだ」という自覚はなかった。

少し大きくなって中学生になると、当時BMXで遊んでいた私は
仲の良かった友達が住んでいる用賀あたりまで遊びに行ってた。

今でもよく覚えているが、桜新町で初めて東秀で食事をした。

その時もまだ「生姜焼きが好きだ」ということは認識していなかったが、
やはり東秀でも生姜焼きをよく食べていたように思う。

※のちに「回鍋肉」を知り、東秀ではデフォルトで回鍋肉を注文するようになる。

中学のころ、学校の近くに「NEBA」という定食屋があった。

サッカー部の連中が常連だったが、私も学校が昼で終わる土曜とかには
よく行っていた。

多くの連中は「風味焼き」か「醤油焼き」を頼む。

「風味焼き」はピリ辛の、醤油焼きはすき焼き風だ。

しかし私はここでも生姜焼きを頼む。

ここではロースとひれが選べるのだが、もちろんセレブの私はひれを注文する。

「A」と「B」があって、「B」は肉が1枚多い。

いつもの注文は「ひれショウガのB」だった。

ここの生姜焼きはたれが多くて、キャベツまでかかってるのがポイントだ。

生姜焼きを頼んで、キャベツにまで醤油をかけて食べるようになったのは
この店がきっかけだったと言っていいだろう。

高校生のころだったか、松屋を知る。

もちろん頼むのは生姜焼きである。

「ショウガ定、シロ大盛り」というのが当時の「トオシ」であった。

「生姜焼き好き」を自覚したのは大学生のころだったか。

当時付き合ってた彼女に「じゅん君、生姜焼き好きね」って言われて
「あ、そうかも」と思った。

ちなみに、今自分で作っている生姜焼きのレシピ(というほどのものでもないが)は
その彼女のものだ。

そして、じゅん君は社会人になる。

最初に配属された部署の課長が「ここはカツ重がうまい」と連れていかれた
とんかつ屋がある、もうなくなってしまったが東急文化会館の並びにあった「蓬莱亭」。

最初は言われた通りカツ重を頼んだが、やはりデフォルトで生姜焼きを頼むようになる。
余りに四六時中行ってたので、いつもご飯もお水も言わなくても大盛りで
出してくれていた。

どこに食事に行っても、生姜焼きがあれば大概頼んでみる。

人生でベスト3を選ぶと「蓬莱亭」は間違いなく入る。

社会人になって、ワーナーを退職して当時の上司・・・
知っている人も多いと思うが、私の「メンター的な存在」ともいえる
池田晃太朗さんが作った会社に転職した。

六本木のマルマンビルというビルで、1階に「ほの字」という居酒屋があった。

実は、転職する前に何度かそこに飲みには行ってたが、
ランチをやってるのは知らなかった。

まぁ昼間に六本木も行かないのだが・・・・

片栗粉付きの生姜焼きを食べたのは、ここが初めてだった。

それはそれで衝撃的であったが、やはり「粉なし」が望ましい。

島に来る前に一度食べておきたいと思っていたのだが、中々六本木は
「ついで」もないので、行けずじまいになってしまったのが心残りではある。

ところで映画が好きで、よく銀座に行っていた。

銀座に行くと東芝ビルの地下にあった・・・もう名前も忘れたが
そこにあった定食屋でよく生姜焼きを食べたが、これもうまかった。

東芝ビルがなくなって、地下鉄の銀座駅のニュートーキョー前に出る
出口からシャンテに向かう途中にある「八百八町」という居酒屋のランチでも
生姜焼きをよく食べていた。

ほとんどの店で共通する点は「ごはんお代わり自由」はモチロンのこと、
「ロース肉を使っている」という点である。

バラ肉を玉ねぎとかの野菜と炒めてあるのも悪くはないが、これも幼少期の
記憶によるのか、「萬来軒」の生姜焼きがロース肉だったからかもしれない。

そしていま、離島にいる。

何度か生姜焼きを食べた。

西里通りの「レオン」、イオンタウンにある「なびい食堂」、
とんかつ屋の「とんかつ一番」。

どこも「バラ肉炒めタイプ」だった。

SNSに投降したところ「チャンプル文化圏なのだからしょうがない」と
友達に言われた。

確かにそうなのかもしれない。

ファミレスも調べたが、「和風亭」「ジョイフル」「ばっしらいん」と
3軒ともメニューに生姜焼きはない。

しかし、どうしてもロース肉のショウガ焼が食べたい。

SNSには「自分で作ればいいじゃん」と書き込んだ仲間もいた。

しかし、寮のキッチンは形だけはキッチンだが、加熱はIHだし
シンクは極小で洗い物も料理もする気が全くしない。

しかしどうしても食べたい。

必要なのは「ヤル気」だけである。

「ヤル気」があれば大概のことはできる。

まずは「ヤル気その1」

炊飯器を買う


まずはまな板も包丁も使わないで済むモノ・・・・

麻婆豆腐を試作

よし!やる気は整った( ̄▽ ̄)

別日・・・

買い物に・・・

行くと中国人だらけ(--;)

クルーズ船が到着すると、どこもかしこも中国人だらけになるのだ。

キャベツを刻む 

調味料を用意する

ニクなんてなんでも同じだ。

安かったので多めに買っておく

焼く

 でけた

写真の色が悪いが、これに近い

いただく( ̄▽ ̄)v

私とランチをしたことがある人は「おや?」と思うだろう。

私はあまり嚙まないで食べるので、よくよく「のどがツカエ気味」である。

なので、食事の時は水をガブガブ飲む癖がある。

前途の蓬莱亭で、ほかのお客さんにはお茶が出ても私だけ「でかいグラス」で
水が出てくるのはこのためである。

で、水のハナシ。

宮古は水が湧かず、河川も湖もない。

なので、地下水で生活しているのだが、これが軟水で水道の水をそのまま飲むと
腹を下すことになる。

なので、飲み物はお茶ということになる。

マリーアントワネットではないけれども「水がだめならお茶を飲めばいい」のである。

「ミネラルウォーター買えばいいじゃん」という人もいるだろうが、
水よりもお茶の方が安い。

血は水より濃く、その水はお茶より高い。

血>水>お茶、ということだ。

話がそれたが、やはり自分で作った生姜焼きは「格別」である。

満腹になった( ̄▽ ̄)