こちらDay2
さて、今回の旅のメインイベントであってハイライトな日である。
わしのここ数年の旅の目的の一つに「懐かしいあの人に会っておく」ってーのがあってね、年々「あの人もこの人も」という感じで人が亡くなっていく中で「あぁ〜死ぬまでに会っておきたかった」って人が何人もいるので、「そういう人たちに会っておこう」って思っているのだよ。
ところが「会いたい」と思っていても、なかなか会えるものでもないし、そうそう宮古へ来てもらえるものでもない。
「ならばこっちから会いに行こうではないか」ということで、去年あたりから会いにいったりしている。
ということでこの北関東の旅。
「会っておこう」って人は、群馬県は甘楽郡にある「南牧村」というところにいらしゃる。
この人との「いきさつ」みたいなものが、説明しないとならないくらいの関係なんだけど…
そもそも、わしら兄弟は幼少の頃なんだが、東急世田谷線、その当時の「玉電」だな、の松陰神社にあった「世田谷保育園」に通っていたんだな。
この時の弟の担任の保母さんだった方が「長谷川先生」という人でね、まあ非常にわしら兄弟というか、親もひっくるめてとても近しいお付き合いをさせていただいていたのだよ。
で、わしら兄弟…兄弟どころか両親もそのまた祖父母も東京の人だったので、いわゆる「いなか」というものを持ち合わせていなかった。
小学校の時でも、同級生の何人かは「夏休みに田舎に行ってきた」なんて話を聞くけれども、わしらは「田舎ってなんだ?」と思うレベルで、「祖父母のいる両親の出身地」とかいうことを知るのは後のことなんだけど、まあとにかく「いなか」というものがなかった。
当時たびがちだったわしらの両親。夏は北海道のツアーが書き入れ時なので、子供をどうにかしたいが預けるところがない。
そこでこの長谷川先生が登場するのだが、彼女の出身が群馬県でね、これがしかもお寺で「まあ一週間くらいなら預かれるし…」みたいな話だと思うんだけど、そういうわけでわしらが小学校かまあ多分中学上がるかそこらくらいまでは毎年このお寺にお世話になっていたんだよね。
それでその「長谷川先生の弟」って人がこの田舎にいてだね、わしら兄弟はその人にまあ随分可愛がってもらったのだよ。この人、名前を「最定(さいじょう)さん」って言うんだけどね、わしら兄弟の結婚式にも出てくれたりしていたりとか、まあとにかく親戚以上の付き合いをして来ていた人だし、そこそこ高齢なはずなので「最定さんに会いに行こう」と言うのがこの北関東の旅のメインだったのだ。
この最定さん野いるところが、これが群馬県甘楽郡の「南牧村」と言うところで、「日本で最も消滅が近い村」と言うことになっているらしくて…
記事にもなっている
と言うことで、いよいよその最定さんに会う日となったのだ。
で、やっとこの日の記録に移るのだが…
この日は弟とは別々の部屋だったので、気兼ねなく早起きして日記やら色々と済ませておく。
朝ごはんお時間を待って朝食
あまりお腹いっぱいになっても後に差し支えるんだけど、それでも一応ご飯4杯だけにしておいて、パンには手を出さないでおいた(←ここに少しの自制心があったりする)
色々写真を撮り忘れているんだけど、まず向かったのはドンキ。
わしら兄弟は「暇さえあればキャッチボール」と言うくらい、いつも庭でキャッチボールやったりしていたんだけどね、もう大人になってからはなかなかそんな機会もなかったんだけど、
旅のついでにどっかでキャッチボールをしよう!
と言うことで、これまた今回の旅の重要なミッションになっていたのね。
出発前に実家の倉庫探してもらったんだけど、どこにもわしらのグローブが見当たらないらしいのでおそらく捨てられたのではないかと言うことで、新しいグローブを探しに行ったのだ。
ドンキで見つけたグローブが、これがまあそれなりに安いんだけど固くてすぐに使えそうにないので、すぐ近くにあったスポーツデポに行ったんだけど…
なんかものすごく高い(ーー;)
「ホンの出来心」レベルのキャッチボール…しかもおそらくはものの10分くらいで「疲れた」とやめてしまうものに「万単位」の金を使うのは勿体無いので、やっぱりドンキに戻って2000円くらいのグローブで我慢することにした。
と言うことで、前橋を出発して下仁田方面へ向かう
こんにゃくパーク到着
まずはこんにゃくパークでお昼を
観覧車なんぞも回っていたりしてのどかなもんである
レバ刺しこんにゃくなんかもあったりして
こんにゃく詰め放題とか
みんなガンバて詰めてます
で、ランチにしようと、食堂行ったら…
長蛇!
諦めて近所の蕎麦屋へ
お品書き
弟は鴨せいろ、わしはあいもりにする
足りないので天丼も追加
そして、腹ごなしのキャッチボール
予想通り、あっという間に疲れ果てて、弟も「肩が痛い」と言うのでキャッチボールもそこそこにして、いざ限界集落へと向かう
どっちを見ても山だらけである
幻想的ですらあったりする
いよいよ限界集落へ
ここら辺にある
到着
どこもかしこも懐かしい
まずはそこら辺を懐かしむ
よくこの川で遊んでいた
懐かしがってばかりもいられないのでいよいよ…
感動の再会
記憶の中では「優しいお兄さん」で、わしらが毎年遊びに行くたびにいろんなとこに連れて行ってくれたり、いろんな遊びを教えてくれたりしていたんだよね。
わしら兄弟も一桁(7歳とか8歳)だった時に20代の彼がよく面倒見てくれていたんだ。
最定さんは今南牧村の村長さんやってるんだけど、まあ色々と話聞いてね。
実は南牧村は「世界レベル」で注目されているらしくて、何やら海外のメディアも取材に来るらしい。
いわくね…
日本は世界でもトップクラスの「高齢化が進んでいる国だ」と言うことなんだけど、
その世界一の高齢化国の中で、最高の高齢化率を抱える南牧村は…
世界イチ高齢化した村だってヽ(;▽;)ノ
まあなんとか消滅しないで生き残ってもらいたいものである。
とかなんとかで話は尽きないのだが、あまり長居するのもアレなので適当にお暇して東京へと向かった。
ところがこれが週末の帰り道ということで、忘れていたけど結構な渋滞で車が全然進まない。
初めて見たんだけど「ゆずり車線」ってーのが関越のあちこちにあってね、渋滞がそこの意差し掛かると…
ゆずり車線に入っただけでぐんぐん先に行ける( ̄▽ ̄)
もはや「ゆずり車線」どころか「我先ワガママ車線」である(ーー;)
レンタカーの返却が19時だったのでギリギリになってしまったんだけど、まあなんとかレンタカーを返して…
また焼肉
叙々苑である
叙々苑…これまた故郷の味である。
とまあこんなわけで、わしらの「限界集落への旅」は終わったのだ。
これから内地は寒くなるので、しばらくはまた内地には行かなくなるんだけど、一応次の再会の約束…多分4月か5月、これから半年間は会えなくなるが、次の旅の約束もしておいた。
さて、わしはあとは帰るだけ…
と見せかけてまだ旅の続きがあるのだ!
そこら辺はBlogにしても対して面白くもなんともないので書かないと思うけど、「とりあえず記録」くらいには書くかもしれない。
とりあえず「限界集落への旅編」はおしまい。


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