2024年8月15日木曜日

「やきとり海亀」開業から「株式会社島物語」退職までの道のり

 あらかじめ断っておくが、このBlogはフィクションである。

まるで「謀った」かのごとく綴られてはいるが、中身は完全に私の創作である。


今年になって素麺屋を辞めて焼鳥屋に就職することになった。

そこら辺の顛末は過去のBlogにあるので割愛します。

↓そこら辺の顛末

https://rockbarmalmsteen.blogspot.com/2024/02/2024day1st.html

閉店したやきとり海亀

※本当は「休業」であるが「事実上閉店」と言っていいだろう

1月に素麺屋辞めて、2月に転職して焼鳥の修行で名古屋に「少しだけ」行くつもりが延長されてひと月を超えることに…

3月に入って店の工事に立ち会ったり、厨房設備に関してああでもないこうでもないと話して図面書いてもらって…なんだかんだで工事が終わって開業のめどがついたのが4月。

元々は3月後半には開店させるつもりだったのだが、ずれにずれ込んで結局開店したのは4月11日。

新聞にも載った

宮古の島民は基本的に所得が低いんだけど、低所得の割には酒飲む習慣が…もう「習慣」というより「島民体質」というか「ほかに娯楽がないから酒飲むしかない」というのが本質なんだろうけど、まあとにかく酒飲みが多い。

前途のとおり所得は高くないので「とにかく客単価が安い店に」という事で、かなり価格を抑えた居酒屋にした。

ラジオでも話したのだが「焼鳥屋だけど、焼き鳥では勝負しない」というところにもこだわった結果、なんだかんだで地元客がついてきてくれて連日そこそこにぎわうし、週末は予約でいっぱいになるほどいい感じで売り上げが上がっていっていた。

ところが!  だ!

メニューは増やして、お客さんが飽きないように…

客商売やってて大事に思うのは「飽きられないこと」だと思うのね、「まああそこ行ってもどうせ…」とか思われたら客足離れていくので、常に新鮮な何かを提供し続けようと、日替わり週替わりのメニュー作ったりして…

で、ここで問題だったのが「社員がワシ一人だった」ということ。

朝から行ってランチの仕込みやって、ランチ営業して片付けて、それ終わったら今度は夜の営業の仕込みやって、夜の営業やって片付けて帰って…という毎日の繰り返し。

朝から晩まで完全に一人で準備しなくちゃならんので、それなりにやることは多い。

運営している「株式会社島物語」という会社の社長に「社員増やしてくれ」と頼んだんだけど「月商が200万になったら考える」という事だったんだけど、この時点で「もうだめかもな…」とは感じ始めていた。

どのくらい働いたかというと…

このくらいである

ざっくりで350時間ほどである。

5月ひと月で、ほぼ720時間の半分を仕事に費やした。

人生の残り時間が少ないにもかかわらず、だ!

これに対して、会社は事前の通達も説明もないままに残業代をカットされた。

採用募集には「超過分は支給する」と書いてある


この時点で時給に換算すると906円とかだ。

ちなみに沖縄の最低賃金は896円とか…

こんだけ働いてほぼ最低賃金である(ーー゛)

ちなみにうちのバイトの時給は1250円、これだったらバイトのほうがましである。

という事で、報復することにした。

まずはわしの待遇を「アルバイト」にしてもらった。会社には「これだったらほかで働いた方がいいので、パートタイムで手伝うことにするから」というのが建前であるが、本音のところでは「レギュラーで一定の日数を勤務する必要がなくなる」という部分を逆手に取ったわけである。

これに対して会社は「店長手当的なもの3万と、買い物等に必要なガソリン代を毎月支給する」というので、「店長的な仕事は勤務時間内に行うので結構です」と断った。あとから「こんだけ手当出しているじゃないか」的な言い訳を与えないためである。「いえ、私はあくまでも責任のないアルバイトです」という事にしなければならなかったのである。

やきとり海亀で焼き場の仕事ができるのは、ワシともう一人は前職からの付き合いの中本さんとの二人だけである。つまり「どっちか」がいないと焼鳥屋としての商売が成り立たないのだ。

そしてわしは「アルバイト」という立場になっている。会社には「前職に戻った」という事にしてあったが、そんなことは事実として確認のしようもないので「前職に戻った」という事にして「毎日勤務できるわけではないという設定」を行ったわけである。

枠組みはできた。

もしワシが会社に対して忠誠心やらがあったら「中本さんがいない日にわしが出勤して、交互に焼き場に入ることにする」という事にするだろう。

ところがすでに会社に裏切られているので、わしは「中本さんがいる日に限って出勤する」という事にした。

これでわしらどっちもいない日というのが確定する、つまりは「臨時休業」という事になる。

↑のタイムカードが「2024年5月分」となっているが、この給料が支給されたのが6月10日である。残業代丸々カットが発覚したのがその日で、即日電話してアルバイトにしてもらった…この時点で6月中のシフトは確定してしまっていたので変更は効かなかったのだが、7月のシフトからは「ほぼ臨時休業」という事になった。

7月のひと月で営業したのは10日程度だったと思う。

まだ6月からの余波はあったので7月の前半こそまだまだ売り上げはあったのだが、後半に差し掛かってからというもの、目に見えて売り上げが下がった。

8月に入ってからも衰えは加速して、もうすでに「売り上げがアルバイトの日当さえまかなえない」ほどになった。

ところで、焼鳥屋である。

鶏肉はさておき、肝類の足はものすごく早いので、せいぜい1~2日で使わないと危ないので、「営業する日」に準備した鳥串はほぼその日のうちに廃棄されることになる。

刺身なんかも同様である。

8月に入ってみるみる売り上げが下がっていくなかでわしが提案した。

売り上げはバイトの日当にさえならないし、営業すればロスばっかでやればやるほど赤字になるということである。

「この際、ほかの社員の採用が決まるまで休業してはどうでしょうか?」

エリアマネージャーという人と、総括責任者という人と社長とで協議した結果…

では休業しましょう!という答えが返ってきた。

さて、この「休業」という判断だが、おそらくこの店は一旦休業したらもう回復は不能だろうと思う。

まずは場所が悪い。「宮古島の竹下通り」と呼ばれる道があるんだけど、そこら辺に飲み屋が集中していて、そっから「カラオケスナック街」に向かう動線があって、「やきとり海亀」は完全にその動線と逆ベクトルの方向、つまり「家に帰る道の方向」のほぼ住宅街にあるのでよほどのことがない限り、そっちに向かって飲みに歩いてくる人がいないのだ。

そんでもって今回の開業に成功したのは新聞とラジオである。新聞はワシの仲間が社長やってるので「ちょっと取材頼む」という事で写真付きで「曙死亡」よりも大きい記事で出してもらった。

「新聞見て…」とか「ラジオで聞いて…」とかって人が多かったのは事実である。これで一編に話題になったのは「宮古で一番安い店」という幻想を抱かせたからに他ならないと思っている。

※実際には一番安い店ではない、「一番安い店を目指している」のである

という事でおそらく「再開店」したところでもう遠のいた客足は戻らないだろう。

それともう一つは、宮古島の人材不足である。
ただでさえ人材不足なのに加えて「ブラック企業だ」と、わしがカウンターの中で散々言ってるし、友達にも伝えてある。

まさかそんなブラック企業に応募してくる酔狂な奴もいるまい。

ついでにIndeedに「この会社の募集内容に虚偽がある」と通報もしておいた。

まあなかなか採用することも難しいだろうよ。

といういきさつで「やきとり海亀」は再開のめどが立たない休業を余儀なくされたのであった。

引継ぎの相手さえいない中なので、わしは自動的に退職。わしが誘った中本さんもルイももう戻ってこないだろう。社員採用できたとしても、どこの店も従業員の採用に困ってどんどん時給が高くなっていっている宮古島である。バイトもなかなか採用できないだろうな。

という事で、多分このまま閉店するだろう。

たった数万円の残業代をケチった結果がこれである。

※繰り返しになるが、本稿は「フィクション」です、それっぽい固有名詞は出てきますが実在する店舗や会社とは一切関係がなく、もし一致したとしても「偶然の一致」の域を出ないものと推定されます。

この後の仕事のこともまた改めて報告します。

離島生活、楽しそうだろ( ̄▽ ̄)v





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