こんちわ、さっきまで「物書きのハシクレ」を自称していました、さわだです。
あんなに憧れていた「隠居生活」も、慣れてくればただ退屈な日々が繰り返されるだけで、結局のところ「南国に行って小説家になる!」とか言って沖縄に移住しては見たものの、10年たっていまだに小説の一本も書ききらず…
書いては途中でやめ、また別の文を書き始め、またどっかで途中で飽きてきてほかのものを書き始めてみたりと、集中力がないのか飽きっぽいのか、はたまたそのどっちもなのかでいつまでたっても小説の一本も仕上がらない状態だ。
「そもそもの読書量が足らんのだ!だから言葉があふれ出てこないのだ!」
と、自分にカツを入れて今年一年はかつてないほどの量の本を読んでいたりするのだが、それでもなかなかあふれ出てくるものでもない。
あふれ出てくるのは「Blogレベル」、ただの独り言に近い駄文ばかりである。
ところで今さっき読んでいた本で「!?」と響いた単語があった。
なので思い立ったが吉日で、すぐに書き始めたわけである。
表題の件はそのことについてである。
みんな知っていると思うけど、わしゃ転職が多い。
新卒でワーナーに入社して5年持たずに(正確には4年10か月)やめてからというものの、そのあと続いたのはメディアファクトリーの3年ちょっとが最長で、ほとんど「年イチ」くらいの頻度で転職している。
事実、宮古に来てから9年で10回職が変わっているのだ。
履歴書もかなり端折っているし、いまさらもう数えるのも面倒なほどである。
一方で引っ越しのこともある。
子供のころの引っ越しは親の事情が絡むのでわしの自発的な意思ではないが、
上馬の関野荘→上馬ハイツ→上町のパルテノン→代田の一軒家(初代)→初代の隣の家→立て直しのためコーポ羽根木というアパート→代田の新しい家(二代目)→代田のさらに新しい家(三代目)
ここまでで8か所に住み変わっている。
社会人になって代田の家を出て…
吉岡マンション105→吉岡マンション303→トライダント翠耀館と移り住んで、そのあとご存じの玉川の家を建てた。
しかし知っている人は知っているけど、まだここからがある。
わしゃ結婚してからというもの、そもそも家出をしがちだった。
短期滞在型もあったが、完全に賃貸契約して居を移していたこともある。
どこにいたかと言うと
千鳥町、武蔵小山、四谷、東村山、池尻大橋、溝の口…どっか忘れている気もするけどあまり重要でないので忘れていてもいいことにする。
一週間程度の家出だともっとあるがもう書き出すのも面倒なので省略する。
宮古に来てからも
上野→下地→西仲宗根→下里→東仲宗根
とこの9年で5か所に移り住んでいる、最後の「東仲宗根」は、およそ30年ぶりにローンなんぞ組んで家まで買ってしまっているのだが、実はここももう飽きてきている…
宮古や那覇で家を探したのだが、高額すぎてちょっと無理だった。
鹿児島の霧島とか、四国の松山とかもいいかなとか、引き続き探しているのだが…
まあこの辺はまた追い追い。
趣味も移り気である。
みんな知っていると思うが、内地にいたころは今よりも趣味があったのだが、こっちに来るとできないことが多いので、それでも趣味は絞らざるを得なかったのだが「草野球」「釣り」が削除されただけで、それ以上に興味があるものが増えている気がする。
もう書き出すのも面倒なので省略するけど、いくら時間があっても足らないくらいやりたいことが多すぎる。
そしてみんなも知っている通り、わしは「ドラクエ」と「ゼルダの伝説」が止まらない。
この11月にも「ドラクエⅠ&ⅡHD」とかいうのが届くことになっている。
この2種類だけやっているところが「ちょっとキモの部分」にもなっていたりする。
そして、最後の最近の動向である。
SNSとかBlogレベルで発信しているが、このところヒマなので弟や娘と旅行三昧である。
今年は今後の予定を入れても
那覇(5回)、石垣(2回)、東京(3回)、札幌(3回)、奈良京都、東北~函館、北関東
とほとんど毎月どこかに行っている。
※旅行に出なかったのは1月と8月だけであった。
元々出張は好きだった方だ。
ワーナーにいた時はそれほど出張は多くなかったのだが、親父の会社にいたころは仕事のほとんどが地方だったこともあったりしてそれは楽しかったものだ。
勤め人時代もそこそこの会社に勤めてイベント事があったりしてたびたび出張があったのだが、やはりこれがまあなんとも楽しい。
ここまで来たらなんとなくわかってくれていると思う。
良くも悪くもわしゃ「落ち着かないヤツ」だという事がわかった。
去年は寅さんの映画を全部見て憧れたりもしたし、もう寅さんのポスター部屋に貼っちゃおうかと思ったりしたほどだ。
これである